地道に貯金生活を送る私は、引っ越しをきっかけにテレビを手放します。
人生の多くの時間を奪っていたテレビを見なくなったことが、
自分内革命第二弾へと繋がっていくのですが、
今回はその流れからちょっと脱線した番外編です。
テレビをやめた。何をしよう。
前々から思っていたことがひとつありました。
音楽をもっと生活に取り入れたい、ということです。
テレビと引き換えに手に入れた最高のコーヒータイムには
お気に入りの音楽が流れていて欲しい。
読書や運転中にも好きな音楽を聴いていたい。
そんなことです。
じゃあそうすればいいじゃないか。
まあ、そう言われればそうなんですけど
私、ひとつ大きな勘違いというか、
時代の変化に対応してなかった点がありまして。
それによって私はこれまで結構不自由な音楽生活を送っていたのであります。
なにそれ?どういうこと?
はい、恥ずかしいのですが白状しましょう。
私がこれまで音楽とどう付き合ってきたのかということも含めて。
音楽を所有するための媒体でいうと、私はレコード世代です。
CDが出回ってきたなという感覚は私が大学生になって以降。
つまり成人後(スミマセン2浪してます)のことです。
音楽の嗜好が形成される思春期や青春時代、
私の世代にとって好きな音楽を手に入れること、
それはほぼレコードを買うことだったわけです。
これ以外にも、主にコピー媒体として使われたカセットテープもあったので
レコードを借りてカセットに落とす、
ラジオ番組をエアチェックする、
といった入手方法もありはしましたが。
ところで。
…お恥ずかしい話なのですが、
私は生まれて一度もレコードを買ったことがないのです。
いや、音楽は好きですよ。
でも不思議と小遣いを握りしめてレコード屋に走る、ということがありませんでした。
家にステレオがなかったことも大きいです。
それとやっぱり家庭の影響もあるのかなあ。
我が家ではテレビがついている時間が長かったし、
あと家族が熱心に音楽を聴くタイプでもなかった。
それでも中学生にもなると好きなアーティストくらいはできます。
そのことを兄の家庭教師の先生に話すと、たまたまその先生も大好きで
翌週にはそのアーティストの全作品をカセットテープに落としてくれました。
あ、我が家にはカセットコンポ(懐かしい!)はありましたから。
そんなこんなでレコードを買わないまま、時代はCDへと移行していきます。
大学時代のある日、キャンパス内でのこと。
後にニューメディア界の寵児(つまり文化の先端を行く有名人)になる同級生T君が
大きく胸を膨らませて私の前に現れました。
別に何かに張り切っていたわけではなく、彼の上着の中には当時発表されたばかりの
SONYのCDウォークマン(当時はディスクマンだったかな)があったのです。
携帯できるとは言え、たぶん厚めの文庫本くらいのボリュームはあったと思います。
さすがT君、すでに在学中からニューメディアの探求に余念がない。
その場で私も試聴させてもらい、デジタルサウンドのクオリティに感動するのですが、
その時私はT君に、
「そう言えばオレって、レコードって買ったことが一度もないんだよね」
何気なくそうカミングアウトしました。
これに対しT君は、
「スゴイなお前、それ一生続けたほうがいいよ。」
こう言うのです。
時代の先端を走っている自負を持つT君としてみれば、
その真逆の存在である私には、中途半端に時代を追ってほしくなかったのかな。
天然記念物保護の感覚みたいなものかもしれません。
T君はとうに忘れていると思いますが、その言葉は妙に私の心に残り続け、
影響したのかどうかは定かではありませんが、
以後も私は音源を買う、ということをほとんどしていません。
もちろん映像関連の仕事上で入手、つまり購入することはありましたが、
趣味として自分のために音源を購入した記憶がほぼないのです。
その反動という面もあったのでしょう。
好きな音楽を好きなときに。
これは幼少時に音楽に目覚めて以降、T君による封印を経て
40年以上ほったらかしにしていた願望なのです。
「よし、この機に音楽を手に入れるのだ!
Tよ、いよいよ君の呪縛から解き放たれる時が来た。もう俺は音楽に躊躇などしない。」
そう決意した私の頭の中には、聴きたい、入手したい楽曲が次々と浮かんでは渦巻きます。
テレビをやめた2021年2月、
機は熟しました。憧れだった音楽生活をスタートさせるのです。
私は張り切ります。
「よーし曲を買うぞ。さてどんな曲からダウンロードしようか…
闇雲に買うと高コストだからな。あとスマホの容量は大丈夫かな。」
えー、
ここでいきなりですがテストです。
問題:「」内文章における音楽入手方法は、現在主に普及している音楽利用法とは異なる。
4箇所の下線部を今主流の音楽利用法に沿った適切な語句に置き換えよ。
正解:曲を買う → サブスクリプション音楽配信を利用する
ダウンロード → ストリーミング または プレイリストに追加
闇雲に買うと高コスト → 料金は定額
スマホの容量は大丈夫か → スマホの容量は関係ない
えええ、サブスク?
そんなんがあるの!
ダウンロードじゃないの?
月額制!?
・・・
ハイ、これが私のお恥ずかしい時代錯誤です。
パソコン登場以来、CDをリッピングしたり、ダウンロード配信で購入したり、
音楽ってそうやって所有するものだと思ってました。
配信?いつの間に?
調べてみると日本では2016年頃から徐々に普及していったみたいです。
…知らなかった。
だって2016年いえば、私がテレビ番組制作から足を洗った年なんですが
当時番組内のBGMに既存の曲を使いたい際には、最寄りのTSUTAYAまで
CDを借りに行ってましたよ。(著作権料は局がJASRACに年一括払い)
普及したのはその後からなんだ…
おまけにサブスクは音楽を所有するという概念すら吹っ飛ばしたわけですから、
これはショックです。
早く教えてよそんな大事なこと、という気持ちと、
ボーッとしてる間に時代に置いていかれたんだという気持ちが交錯します。
余談ですが、このあと私が自分内革命を続けた際、
これと同じような気持ちに何度も陥ることになります。
2010年代のいくつもの社会変化、技術革新、重要な情報に気づかず、
後になってそれを知り愕然とする、という体験です。
いつの間にか時代変化の加速度が一気に上がっていました。
情報に取り残されたのは私のアンテナの問題なのか、情報がステルス化しているからか?
おそらく両方なのでしょう。
これまでの革新とは、多くが目に見える形だったり鮮烈な体験を伴っていました。
T君のCDウォークマンがいい例です。
うってかわって現代の革新は
ネットやスマホの中でしれーっと起こることが多いような気がします。
サブスクで音楽を聴くという革新的なサービスを利用し始めても、
見た目にはスマホで再生、イヤホンで聴くという、
それまでと何ら変わらない状態ですから。
古い仕様のアンテナには、見えにくい今時の変化は引っかからないのでしょう。
これからはアンテナの張り方にも気を配る必要がありそうです。
話を戻します。サブスクです。
その仕組みは、欲しい曲を選んで課金してダウンロードするものと思い込んでいた私に
驚きと拍子抜け、感動と悔しさを同時にもたらしました。
中でも大きかったのは感動と悔しさですね。
こんなのが欲しかった!とわかるほどに、今頃知った悔しさが込み上げるわけです。
私は YouTube Music Premium に登録しました。
個人的には広告が入ることは許せなかったし、これで月額980円なら大いにアリです。
ところで
皆さんは大好きな曲やアーティストとはどんな風に出会いましたか?
テレビやラジオで?
街角や店内で流れてきた時?
音楽雑誌?
友達の勧め?
今時ならネットサーフィンの途中かな?
そしてそれを初めて聴いたときの衝撃を憶えていますか?
今まで知らなかった素晴らしい音楽、
一生の長い付き合いになるお気に入りの音楽、
つまり魂の音楽とも言える、そんな楽曲を初めて耳にしたその瞬間、
途方もない破壊力を感じませんでしたか。
ハートを鷲掴みにされ、鳥肌が立ち、意味もなく涙が出そうになる。
少なくとも私にとって音楽がもたらす最高の瞬間とはこういった瞬間だったりします。
ただそれは、めったなことでは起こらない稀有な瞬間でもあります。
私はこの瞬間を、個人的に「音楽の不意打ち」と呼んでいます。
何が言いたいのかと言うと、
サブスク配信におけるレコメンド、プレイリスト、シャッフル再生などの機能を使えば
「音楽の不意打ち」に近い瞬間を量産できるのでは?
そういうことを思いついたのです。
どういうことか?説明しましょう。
YouTube Music Premium はレコメンド機能が優れていると感じます。
他の配信サービスと比べたことはありませんけど。
今まで知らなかった好みのジャンルのアーティストや楽曲をどんどん提案してくれます。
ちなみに私は全てのレコメンドを礼賛しているわけではありません。
ただ音楽サブスクにおけるレコメンドに関しては全然アリで非常に有り難い。
そんなレコメンド推しの中から曲をピックアップしていくのですが、
私はちょっと変わった方法でふるいにかけています。
冒頭の数秒と後半の数秒程度を拾い聴きして、それで良さそうだったら
どんどんプレイリストに加えていくのです。
頭の数秒だけでもまあいいのですが、曲によっては後半にガラッと曲調が変わるので
私は後半もちょっとだけ試聴します。
ポイントは、ここではじっくり聴き込まないこと。
試聴はテキトーな方がよく、当落の基準も甘くて良いと思います。
とにかくどんどんマイリストに加えていきます。
あとで改めて聴いて気に入らなかったら削除するだけですから。
集まった曲はテキトーにしか聴いてないので、どんな曲だったかは憶えていません。
曲名も、アーティスト名さえも。
こうして元々お気に入りだった曲に加え、
知らないけど良さそうな曲が大量に入ったマイリストが出来上がります。
これをシャッフル再生するのです。
聴き続けていると、
おなじみの曲に混じっていい感じの知らない曲がランダムに再生されます。
あら、こんな曲入れてたっけ
そんな曲が意外なタイミングで流れます。
ここでグッと来れば「音楽の不意打ち」が成立します。
新たな音楽との感動的な出会いです。
もう一つ、別の意味での「音楽の不意打ち」もあります。
これまでは、手持ちの音楽をかけるということ、
例えばCDやレコードをかけるという行為は
自ら選んだものを聴く、ということでもありました。
これからどんな曲が流れるかわかった上で聴くのです。
どんなにいい曲でも、これからかかるとわかっていたら
改めて噛みしめる感動しかもたらしません。
サブスクはそこに革新をもたらすのではないかと思うのです。
私は使ったことがないのでわかりませんが、iPodでもできるかも。
どういうことか?
仮にプレイリストの曲数が、私のやり方で集めた1万曲だとしましょう。
1曲を仮に4分30秒とすると750時間。
休まずかけ続けてまるまる1ヶ月はかかります。
ここまでの数になると、それをシャッフル再生する場合、
そこに曲を選ぶという概念は存在しません。
知っている曲が流れてきても、それは必ず予想外のタイミングになります。
この曲が今ここでかかるのか。
旧知の曲なのになぜか新鮮。
そんな風に届く楽曲は私にとってもう一つの「音楽の不意打ち」なのです。
現時点で私のプレイリストは2000曲を超えています。
まだまだ増やしていく予定です。
プレイリスト名はもちろん「音楽の不意打ち」です。
休日朝のコーヒータイム、日々の通勤、自炊とその後の食事…
暮らしのシーンが音楽で彩られます。
こうして予想を超える快適な音楽環境が、とても簡単な方法で手に入りました。
所有しなくてもいいのです。所有しなくても豊かなのです。
むしろすべての音楽を手に入れたかのような気分です。
これまでコレクションとしてのレコードやCDを買ったことがなかった私は
とうとう所有という経験を経ないまま、配信で音楽を享受することになりました。
T君の一言が改めて思い起こされます。
「Tよ、確かに君の言う通り、一生レコードを買わずに済みそうだよ。」
テレビをやめて手に入れた音楽。
この2つの大きな違いは「ながら」ができるかどうかです。
テレビの場合、その間は他のことができない(私の場合)のですが、
音楽なら聴きながら別のことが同時進行できます。
いや、「ながら」どころか同時にやっていることの効率や実益を音楽が上げてくれる
そんな効果すらあるのです。これは嬉しい発見です。
ちょっと脱線、のつもりが予想外に長くなってしまいました。
次回は再び貯金に関する話に戻そうと思います。
ほぼ自炊の力だけで地道に貯金を増やす。
この方法は着実なのですが、どうしても貯まる速度がイマイチなのです。
何とか加速する方法はないものか?
本業だけのシングルインカムの中で、少しでも収入アップはできないのか?
そんな画策を始めます。
次回はこのあたりのことをお話したいと思います。
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