テレビをやめる話の続きです。
引越し先のアンテナにテレビを繋いでも映らない。
そのとき、ここは一度立ち止まって考えるべきだと思いました。
今までの私と違ったのはこの点です。
これは明らかに2020年に起こった私の変化の延長線上にあるリアクションです。
2020年に起こった変化、つまり
「コロナによる自宅待機の際、副業バイトを探したことが思わぬ展開に繋がる」
経験をした私。
これをデフォルメ、要約してみると
「何かあった時のちょっとした対処で運命が花開く」
というふうにも言えそうで、
私の中でそれが公式化しつつありました。
なので
「次の何かって何だ?いつだ?」
潜在的にそんな意識が働いていたようで、
テレビが映らないという現象にも立ち止まって反応できたのかもしれません。
ハッキリ言って2020年の出来事は私にとっては素晴らしい成功体験ですから、
その体験をもっと、何度でも、という欲があったのは確かです。
実際に立ち止まって考えたのはこんなことです。
私はどんなに頑張ってもテレビを程々に見ることができないので、
ずっと見続けるか、完全にやめるかの2択しかありません。
1択目:テレビとお友達の一生か?
2択目:大好きなテレビをやめるか?
1択目については現状維持で変化はありません。
困るのは見過ぎてしまうと、
・スナック菓子を食べすぎた
・休日に昼過ぎまで寝ていた
そんなときのような後ろめたい気持ちに襲われるのです。
では2択目ならどうか?
見過ぎた時の後ろめたさからは開放されますが、
楽しくてライフワークのようになっていたものを失います。
う〜ん、楽しいライフワークがなくなるのは正直つらいですね。
ただ、これまでテレビを見ていた時間は
テレビをやめれば何か別のことをする時間に代替されるわけで
その時間がより良い時間であれば話は別です。
つまり、
「テレビを見る以上の価値ある時間を創出できるのか?」
そこが決断の分かれ目になりそうです。
この問いに対してNOなら1択目、YESなら2択目となるわけです。
私はYESに賭けることにしました。
なぜなら2020年の成功体験があったから。
早起きして弁当を作れるようになった今の自分なら、
そうやって節約して貯金を増やせるようになった今の自分なら、
やれそうだと感じたのです。
実際にはもっと無意識的で、ぼんやりした思考だったはずですが、
当時の心境を懸命に思い出しながら文字化すると
どうやらこういうことになるのです。
ダメならまた元に戻るだけ。
それでもいいやと思って
私はアンテナジャックを抜くことにしました。
テレビにもいい番組がたくさんあります。
携わっていた私が惚れ惚れするような番組があるのです。
なので心残りがあります。アリアリです。
でも、エイヤッ!
仕事にまでしたテレビとの決別です。
こうしてテレビなしの生活が始まりました。
テレビをやめた瞬間からそれに替わる時間が生まれます。
テレビじゃない時間。
テレビ以上の価値が求められる時間。
それって読書?スマホ?それとも睡眠?
いいえ、最初のテレビじゃない時間は「生活」でした。
それも「折り目正しい」生活の時間です。
たとえば、これまでの私は休日の朝目覚めるとまずテレビをつけ、
そのままダラダラ見続けるといった具合でした。
しかしテレビがないと、まずモーニングコーヒーでも淹れようかという風になります。
せっかくならおいしい方がいいので、コーヒーミルを購入して豆から挽くことにします。
ドリッパーやマグカップなども吟味して揃えると、
朝のひとときが豊かになります。
お気に入りの道具で手間をかけたおいしいコーヒー。
しかしそれをパジャマ姿のまま飲んでもなんだかなーと
思うようになります。
そこで起きたらすぐ着替えることにします。
ところが部屋が片付いてなかったら…
これまたせっかくのコーヒーの味も下がるというもの。
なので部屋の片付けや掃除をしたくなる。
いやいやその前に窓を開けて外の新鮮な空気を入れよう。
そんな感じで暮らしがキチンと整っていくのです。
現在の私は休み前日の晩に部屋を軽く整えておき、
休日の朝は起きるとまず窓を開け放ってベッドメイク。
さっとシャワーを浴びてから、友人と会える程度の服に着替え(会う予定はないけど)、
コーヒーを淹れます。
開け放った窓から見える海(新居から見えるんです!思いっきり漁港ですが)を眺めながら
コーヒーを味わう。
その作り上げたシチュエーションも含めて味わう、
といった感じでしょうか。
もう、これ以上ないような豊かな心持ちで休日がスタートします。
有意義な一日になる予感にあふれています。
テレビを見ているうちにもう昼かあ、そんな過去とはおさらばです。
私の生活に、休日朝の豊かなルーティンが加わりました。
新たなルーティンは、そこに隙間、空きがないと入りません。
今回はテレビですが、やめるという選択が隙間を生み、
それにより新たな要素をその隙間に埋め込むことができました。
新たな要素、休日朝のコーヒータイムの効果と満足度は絶大です。
これによって今回、やめるという選択の大きさを改めて知りました。
このようにテレビとの決別は大正解でした。
生活を根っこから変える要因のひとつになりました。
自分内革命第二章のスタートです。
今回の引っ越しでは通勤時間が多少短くなったり、
窓からの景色もよくなるなど、
いいことがいくつかありましたが、
それよりも何よりも、
テレビとお別れできたことが最大の収穫だと思っています。
有り難かったのは、私は重度のテレビ中毒者だったはずなのに
不思議と禁断症状が全く出なかったということです。
何だったんでしょう?私にとってのテレビって。
では今回もやりますよ、「やる力」チェック。
テレビをやめることに「やる力」を使ったのか?
もちろん答えはNOです。
なにせ行動とか実行とか、そんなプラス方向の力ではなく、
やめるというマイナス方向の話ですから。
それも積極的にやめに行っているわけではなく、
単に映らないのを、いろいろ理屈をこねて諦めただけ、とも言えます。
テレビにはおまんまも食べさせてもらったし、お世話になっているのですが
すっきり晴れやか、清々した!というのが正直なところで、
たったほんの、こんなことで人生を取り戻せる(敢えて大袈裟です)なんて
安上がりすぎる、とさえ思いました。
これまでの変化の中でイージー度ナンバーワンです。
似たような方がいらっしゃったら、強くオススメします。
テレビをやめて思うこと。
これまでテレビに奪われた私の時間、私の人生はどのくらいあったのでしょう。
考えただけで呆然とします。
そう言えば若い頃、一億総白痴化という言葉を聞いたとき、
テレビを見て白痴化?一体何を言っているんだろう?
こんなに有益で面白くて必要なものなのに。
そう思った記憶が蘇りました。
あれは私のような盲目的テレビ人間が増えることに対して
賢い人が警鐘を鳴らしたんだなと今更ながら気付いた次第です。
本当に今更ながらで、いくつになって気づいてんだよ!?という感じですが。
しかし過ぎたことを後悔しても仕方ありません。
むしろこれからはテレビに時間を奪われなくなることを喜ぶべきです。
ここからです。
自分の時間を大切に、有意義に使うのです。
このように心を入れ替えた私…
となればいいのですが、
残念ながらその時の私はそこまで深く考えていませんでした。
素敵なコーヒータイムは手に入れましたが。
自分の時間が増え、それを活かそうと自覚できるようになるまでには
もうちょっとだけ時間がかかります。
何事も時間がかかるんです、私の場合。残された時間は少ないくせに。
さて、次回のことですが、
本筋からちょっと脱線しようかな、と思っています。
一大娯楽だったテレビを切り捨てた私が、
今度は別の娯楽を手に入れるお話です。
お楽しみに。
コメントを残す