私の貯金生活は、自炊で生活費を抑えるという地道コツコツモードへと移行しました。
ダブルインカムボーナスステージの
「どこまで増えるんだコレ」
という感覚とはお別れです。
ボーナスステージモードの時はトンネルの中を走っているようなイメージです。
視界は狭く、左右の壁がどんどん後ろに流れ、スピード感があります。
近づいてくるトンネルの出口は見えていますが、抜けた先の景色までは見えません。
ボーナスステージ、つまりトンネルを抜けると視界が開けます。
視界が開けたのでスピード感はなく、ノロノロと進むかわりに道の先が見通せます。
その先におぼろげながら浮かんできたもの、それが100万円という数字です。
私にとって記念すべき年になった2020年。
その後、自宅待機要請が出ることはありませんでしたが、
客足は伸びずホテルの営業は不安定な状態が続きます。
予約が少ない日には急に休みになることもしばしば。
働いた時間数で収入が決まるアルバイトの身としては
これではコロナ前の収入には及びません。
でもホテルの仕事が休みなら、かわりに副業をやればいいわけです。
幸い私は副業先を確保しています。
そうなのです、交通誘導のアルバイトは3ヶ月では終わらず
その後も副業として続くことになったのです。
そこで判明したのは、お世話になっている警備会社がとてもステキだということ。
どうステキかって?
だって前日の午後3時頃までに
「明日出れます」
と電話すれば必ず翌日の現場を用意してくれるんですよ。それも大喜びで。
「おっ!ロコGさん。エッ、明日出られる?イイねイイねえ〜」
電話口のシフト担当部長は毎回ノリノリなのであります。
この神対応のおかげで本業と副業のパーフェクトな補完関係が確立されました。
ここまで明るくフレキシブルに対応してくれる副業バイト先って、ステキじゃありません?
おかげさまで労働時間としてはコロナ前の水準を維持することが可能になりました。
ただ本業と副業の時給には200円以上の差があるので
副業従事時間に差額を掛けた分だけ収入としては下がることになります。
勘違いしないでください。これ、不満じゃありませんからね。
お金の話を取り上げていくブログとして、あくまで事実を述べているに過ぎませんから。
副業バイト先に対しては、理想的すぎて本当に感謝しかないのであります。
副業収入に加え、自炊を始めるきっかけまで与えてくれたわけですし。
自炊のおかげで、私の貯金は上向きのベクトルを維持できているのです。
そんな私にとって激動の2020年は
「地道にやればあと半年で100万円に手が届くかも」
という、年の瀬のセコい皮算用ニンマリとともに暮れました。
コロナの第三波とともにやってきた2021年。
年明け後まもなく、私に引っ越しの話が持ち上がります。
私はホテルの飲食部門で働いています。
住まいはホテルが民間から借り上げたアパートで、割安で住まわせてもらっています。
その額、1万6000円。それも駐車場付きで。
この格安住居費も私の貯金体質を支える大きな柱のひとつなのですが、
今回は家賃の話ではありません。
当時私が住んでいたのは3DKでファミリー向けの物件。広いでしょ?
たまたま単身者向けの部屋に空きがなかったので
大は小を兼ねるということで住まわせてもらっていました。
ところで…
勤め先のホテルでは、さまざまな国籍のスタッフが働いています。
韓国、中国、台湾、香港、ドイツ、ベトナム、インドネシア、ミャンマー、
バングラデシュ、ネパール、インド…
彼らの多くも、ホテルが借り上げた住宅で生活しています。
コロナの蔓延以来、外国籍スタッフは自国との往来を制限されてきました。
その中の一人、本国に妻を残す単身赴任のスタッフが
なかなか会えない妻をいっそのこと日本に呼び寄せてしまおうと考えました。
ただ、彼の今の住まいは単身者向けで狭いのです。
一方私の部屋はファミリー向けなので、私の部屋を彼に明け渡すことになりました。
こうして会社から指定された新たな部屋へと移ったのが1月の末のことです。
さて、新居で荷物をほどき、
テレビを部屋のアンテナ端子につなげたところ、
電波の状態なのかアンテナなのかわかりませんが
とにかく受信状態が悪いらしく映りません。
「マジかあ」
一瞬弱りました。
しかし…
結局その後、テレビに画像が結ばれることは二度とありませんでした。
私はこれを機に、テレビを見ないことに決めたのです。
なるほど、元々テレビに対してさほど興味がなかったのね、と思われた方、
いえいえ
実はその真逆なんです。
私は時代が産んだいわゆるテレビっ子でした。
私が生まれた1964年はテレビの普及率が90%に達した年です。
その年の東京オリンピックが普及率を爆上げしたのです。
我が家も私が生まれる前にテレビを購入していました。
私はテレビとともに育ち、テレビが大好きで、テレビを見ない日などありません。
子供時代の私は学校、つまり学び、遊び、そしてテレビ。この3つの「び」で生きてました。
気がつけばテレビはついており、時間があればテレビ、なくてもテレビ、
テレビで夜ふかし、大して面白くなくてもテレビの前から離れられません。
当時、我が家のチャンネル権は父親が100%握っており、
父の趣向はドラマやスポーツではなく、ニュースやドキュメンタリーだったのですが
子供にとって大して面白くもないそんな番組でも見てしまう、見続けてしまうのです。
そんな私はテレビがあまりに好きすぎて、最初の就職以来50歳を超えるまで
テレビ番組やCMをつくる映像関係の仕事に就いていたくらいなのです。
仕事も含めこれまでの人生、テレビモニターの前で過ごした時間を合計すると
一体どのくらいになるのか、考えると恐ろしいほどです。
仕事の一環で見ていた時代もありましたが、今は完全に一視聴者に戻っています。
テレビには無意識につけてしまい、見始めると止まらなくなるという中毒性がありますね。
起きてはつけ、帰宅してはつけ、つまらなければチャンネルを変えて見続けます。
これに加えて私は他人と比べてテレビに没入する度合いが段違いに高いようなのです。
親から呼ばれてもテレビを見ていて無反応。
何度目かに呼ばれてようやく我に返る、そんな幼少期の記憶があります。
大人になってからも、人と話をしているのにそばにテレビがあると
気付くと視線はテレビに向いている、そんなこともあるのです。
異常です。これではいけない、明らかに見過ぎだと本人もわかっています。
少しは減らしたほうがいいと思うのですが、その減らすということができない。
何度自分に言い聞かせても、適度に見るということがどうしてもできない。
テレビって恐ろしいんです。
この話、もう少し長くなりそうです。
テレビをやめるという、ごく単純な話のはずなんですけどね。
以降は次回に持ち越しです。
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