始まり③

始まり②からの続きです。

私の副業アルバイトはあっけないほど簡単に決まりました。

交通誘導の時給は860円です。本業の1100円より200円以上下がりますが、

元々は半減した本業の給与補填という考え方ですから高望みはいけません。

それよりも必要な条件をクリアできたこと、

働き始めまでの迅速さなどを考慮すると、

実質的にこれ以上のチョイスはなかったと思われます。

日給は8時間労働プラス交通費で約7200円。休日は基本的に日曜のみ。

月に25〜27日働くことになるので18万円以上の月収が見込めるわけです。

一方本業のホテルですが、暫定での休館期間、自宅待機期間はゴールデンウィーク前の

4月27日までとしていたのですが、その希望的観測はあっけなく崩れ去り、

コロナの蔓延は止まることを知らず、緊急事態宣言は延長されます。

「でもオレには副業があるもんね」

と極楽とんぼ的に考えていた私は、交通誘導開始から2ヶ月が経とうとした2020年5月末、

ある事実に気が付きます。

5月30日に交通誘導の初任給、4月分の給与が振り込まれたのですが、

預金残高を見ると、いつもの残高、毎月代わり映えしないショボい額より増えているのです。

そこで起きていたのは

・本業の給与補償+副業収入=月収アップ

という現象でした。

4月は働き始めたのが8日からだったので大した金額にはならないのですが、それでも増えた。

待てよ…

私は即座に計算を始めました。

このまま行けば来月はどうなるのか?

そうです、皮算用です。

出ました、皮算用。

それは将来のお金を計算する行為です。

現実にはなっていないけど、それを当てにする行為です。

皮算用は増える予定のお金の計算ですので、基本ニンマリするという行為とセットになります。

セコいですね。欲がむき出しというか、チマチマしてますよね。

しかしながら言わせていただきたい。

嬉々として皮算用をするという状況、それこそが

お金が増えるという局面そのものなんです。

ローンの返済シュミレーションなどとは断じて違いますからね。

今月お金は足りるのか、いくら残るのかという引き算ではなく、足し算なのです。

考えるとこれまでの私の人生に皮算用なんてなかったわけで。

だからこそ皮算用を始めたことは、私の人生が足し算のモードに入ったということを

意味するのです。

以後、私はたくさんの皮算用をします。後に皮算用専用電卓まで買います。

さらにはその使い勝手を追求してしまい、3台も購入してしまうほどに。

無論これからもずっと皮算用をし続けたい。

皮算用している限り、お金の未来は明るい。

皮算用は偉大なり。バンザイ!

そんな皮算用なのであります。

その皮算用によれば、

5月以降のフル勤務の交通誘導が続けば

7月末には残高が50万円を超えそうなことがわかりました。

ちなみに自宅待機直前、3月末の預金残高は17万円ほど。

これは当時としてはまだいい方の額で、

普段の私の口座にはせいぜいこの程度かそれ以下の金額しかありませんでした。

それがたった4ヶ月で3倍に増えるのです。

私は、今まで経験したことがないことが起こり始めていると感じました。

「いや待て、落ち着け。本当だろうか?」

自分にそう言い聞かせて再度計算(皮算用)し直しました。

増えるスピードが速すぎるような気もしますが、でもやはり間違いなさそうです。

私の貯金は予想外の勢いで増えているのです。

家計簿を付けていなかったので気付くのが遅れましたが、増える速さの理由もわかりました。

月々の支出もコロナ自粛で抑えられていたのです。

さらに…

これに加えて決定的とも言えるものががもたらされます。

特別定額給付金

そう、みんながもらったあの10万円です。

これまでの人生、私はカツカツしか知りませんでした。

人生のどんな局面でも常にカツカツもしくは不足気味。

万年金欠ってやつです。

私はバブル絶頂時に社会に出ますが、たとえその頃ですら、

いつどんな時も懐具合を気にしながら生きてきました。

もういい加減うんざりでした。

それが変わるかもしれない兆候を示しているのです。

私は逸る気持ちを抑えられませんでした。

とうとう私にもチャンスが訪れようとしている、この機を逃さずもっと貯金に励むのだ。

そして老後の不安を無くし、将来を好転させるのだ。

神はそのために10万円の給付金を与えた給うたに違いない。

使い道?もちろん貯金一択です。

これによって増え始めた貯金に弾みがつけば

ひょっとすると、ここから負け組確定だった現状を覆せるかもしれない。

来たれ我が転機、人生はこれからだ!

私は心のなかでこう宣言したのでした。

世界中がコロナで大変な中、私にはそれがチャンスとなりそうです。

不思議なものです。

バブル経験者の私は、人生の好転があるとするなら、

もう一度バブルのようなビッグウエーブがやってきて

それにうまく乗らない限り無理なのでは?

そう考えていたからです。

しかしそれとは真逆の社会的状況の中で私の人生は好転し始めたのです。

さらにもうひとつ不思議なことがあります。

私は副業アルバイトに就き、貯金が増え始めたにもかかわらず、

まだ「やる力」をまるで使っていないのです。

「やる力」がなくて行動できない。だから現状を変えられない。

そう思っていたにもかかわらず、「やる力」なしで私は変わろうとしています。

どうやら必要なのは強固な意思や覚悟、エネルギーを伴った実行計画などではなく、

ちょっと求人誌を見る、電話をかけてみる、

ほんのその程度のことなんだと思います。

ただ、エネルギーを伴っていない分、

時代の潮流やちょっとした運などの追い風は必要なのかもしれません。

私の場合はコロナが追い風で交通誘導との出会いが運なのでしょう。

しかしいつが追い風が吹き、何がちょっとした運なのか、

その時々に気付くのは非常に難しい。

私もコロナ禍に伴う自宅待機がすべての始まりだったとは、

その瞬間ではなくかなり後になってわかったことです。

ならば、訪れた瞬間には気付けない風や運を逃さないためにはどうすればいいのか?

おそらくそれについては

「普段から思う」

ということではないかと考えます。

つまり、

「今の現状、よろしくないなあ」「こうしたいなあ」

そんな思いを常に頭の片隅に置いておく、

そして

「何かきっかけないかなあ」

このくらいユルくてもいいので心構えのようななものを持っておく

そういうことのような気がします。

私の場合に置き換えると、お金がなくて不安だなあ、なんとかしなくちゃいけないなあ、とか

自宅待機期間を使って副業アルバイトできないかなあ、だとか

そんなことを思うということです。

「やる力」の強い人から言わせれば、

「ウダウダ考える前にさっさとやれ」

ということなのでしょうが、それができないのだから仕方ない。

この歳になるまで「思いながら」待つしかなかったわけです。

「やる力」不足の人は時間がかかっても、いつ来るかわからないその時を

ぼんやりと「思い」ながら待つしかないのでしょう。

そして準備をしたものだけがチャンスを掴めるとするなら、

変わりたい、良くしたい、というぼんやりとした希望を捨てずに持ち続けること。

心だけは投げない、腐らない、諦めていない

チャンスを掴むために最低限身構えるということはそういうことではないかと思うのです。

思っているだけじゃダメ、行動しないと意味がない。

よくあるフレーズです。これに対する反論も聞いたことがありません。

でも私はそうは思いません。

無論行動に越したことはないが、思っているだけでも価値があるのではないか、と。

時が来ればやるって言うけど、「その時」なんか永遠に来ない。だから今やれ。

「やる力」のある人達はそういうでしょう。

でも「その時」はいつか来る、私はそう思うのです。

だって現に私には「その時」がやって来たのですから。

思っていればやってくる。

時節というものを信じ、備えを忘れずに迎えたい。

いや、ここは受動的ではなく、能動的に捉えたいですね。

心の持ちようで「そうはならなかったかもしれない時」を「その時」に変えた。

そういうことにしておきます。

さあ

ここからがナイナイ尽くしだった50代後半男の巻き返しです。

ドラクエに例えれば、

白髪交じりの勇者は今まさに鉄の剣を手に入れた

といったところでしょうか。

ようやく鉄の剣を手に入れたとき、勇者はすでに白髪交じりになっていた

こちらの方が正しい気もしますが。

いざ、冒険の始まりです。

始まりのお話は一旦ここまでとしましょう。

このあと紆余曲折を経る自分内革命とその成果については

今後アップしていく記事にご期待ください。

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