100万円貯めたヨロコビを実感するためにネット検索したら、
そこにはとんでもない量の情報が溢れかえっていました。
まるで海?宇宙?のようです。私はすっかり魅入られてしまいました。
お金の知識が高まると、自分の置かれた経済的状況のヤバさ、厳しさが浮き彫りになる。
これまでの私はそれが恐ろしくて、その手の情報を極力見ないようにしてきました。
現実直視を避けて思考停止していたわけですね。
ところがどうでしょう、いつの間にか恐怖心は好奇心へと180度転換、
その情報の海に自ら飛び込みたいと思うようになりました。
貯金のおかげです。
お金が有するポテンシャルって単なる購買力だけではないのですね。
途方に暮れていただけの自分は過去のものとなりました。
もう以前の私ではない。
視界が開けた、長期間の金縛りから開放された気分です。
掌の中にあるスマホという四角い板からは、無限の情報が引き出せます。
少し前にテレビ依存と決別したのはいいのですが
「テレビのかわりに何しよう?」
という新たな問題も抱えていました。
そんな私の前に無限の情報世界が広がったのです。
私は持てる時間を迷わずそれに投入しました。
テレビ番組からネット検索へ。
テレビモニターからスマホの小さなモニターへ。
…ん?
これってテレビがスマホに変わっただけ?
もしかしてスマホ依存ってやつ?
そう思い、一瞬焦ります。
不安になって調べてみました。
どうやら大丈夫。
一般的なスマホ依存とは以下の部分が違うようです。
・SNSは仕事連絡用のグループライン以外はやらない
・ゲームはしない
・動画も娯楽系はほぼ見ない
・使っていない時はスマホのことなど全く気にならない
つまりネットでの情報収集しかしておらず、
持ち時間の大部分をそれに当てているだけなんです。
テレビよさらば。
ネットよ、これからは思いっきり有効活用させてもらおうではないか。
かたや惰性の時間消費。受動的で後ろめたい。
こなた学びの時間。能動的で充実。
いい感じです。
テレビを見ていた頃、私はニュースが大好きでした。
ニュースは多くのテレビ番組の中でも、最も後ろめたさを感じにくいもののひとつです。
それは、
「ニュースで社会情勢を知る。有益な情報を得る。」
といった正当性みたいなものが感じられたからです。
でも、実際のニュースって自分にとって有益なものばかりじゃありませんね。
休日でどこぞの観光地が賑わったとか、遠く離れた県でクマ出没とか
それで私の行動や判断が変わるわけではないニュースもたくさんあるわけで。
それでもニュース番組を見るということは、正直に言えば興味本位が大半だった。
正当性だと思っていたものは言い訳に過ぎなかった。
そういうことではないかと今になって思うのです。
一方でネットでの情報はこちらから求めるものです。
玉石混交の中から有益な情報を見出さなければなりませんが、
それでも情報の役立ち度合いもその確度も、テレビとは比較にならないほど高い。
濃密なのです。そう、時間が濃いのであります。
間違いなく時間の質は向上しているはずなのです。
蛇足ですが検索、閲覧する間は専ら
YouTube Music鉄壁のマイリスト「音楽の不意打ち」を流します。
ここで威力を発揮するのがPremiumの広告なしとバックグラウンド再生(ながら再生)。
部屋は整っていて、うまいコーヒーもある。
準備は万全です。
情報選びは、
・初心者向け
・信頼できそうなもの
・普遍性の高そうなもの
そのあたりに注意しながら、あとは気の赴くままに任せます。
これがすごく楽しい。
不要なものはスルーし、良質のものだけをうまく掬い上げれば
どんどん賢く、豊かになれそうな気がしてきます。
例えば「貯金」で検索をかけたところ、今私が採用している自炊による節約以外にも、
貯金を増やす方法はいくらでもあることがわかりました。
わ〜お!
私は宝の山を見つけた気分になり、
のっけからイケイケドンドン前のめりなのであります。
ひとつ具体例を挙げてみましょう。
私にピッタリ。瞬時にお買い上げ決定!そんな情報の例としては
「固定費を抑える」という概念。
私の自炊式貯金法における食費は、そもそもが流動費であり、
低く抑えるためには日々気がけることが必要(まさしく!)なのだそう。
この時点ですでに目からウロコが落ちてますが、
それとは別に固定費というものがあって、
固定費は1度見直しさえすれば節約効果がその後も持続するというのです。
固定費とは家賃、光熱、通信、保険など。
ほ〜お、知識って素晴らしい!
自炊節約1本で100万貯めた自分はバカだった(でも健気で愛おしい)。
早速見直さねば。
具体的な見直しについては別の記事で取り上げることにします。
次にスルーする情報についてです。
正確性が疑われる情報や、あらぬ方向へ誘導しようとするあやしい情報、
これはスルーして当然ですが、ここで言いたいのは
一般的に有益性が高いとされる情報でも、私にとっては馴染まないものもある、ということ。
例えばそのひとつが先取り貯金。
貯金に関するアドバイスの多くで必須条件のように謳われている鉄板の方法です。
内容は毎月の収入から貯金額を先に取り分けておき、残りで生活するというもの。
先に貯金分を確保せよ、でないと結局使っちゃって貯まらないよ、という訳です。
で、私ですか?
私は先取り貯金などやりません。
そんなことしたら、月々決まった額しか貯まらないじゃないですか。
給料入る→極力少なく使う→残りは貯金
これでこそ貯金の限界に挑戦できるというもの。
貯金額は毎月変わりますが、それはその月の結果として評価検証考察し、
翌月のモチベーションへとつなげるわけですよ。
ムハハハ先取り貯金なんて甘いぜ、スルーしちゃえ。
ん〜すごくね?オレ
ここまででなにを伝えたいのかというと、
まず「楽しさ」です。
楽しいんです、知ることが。情報に触れることが。
もう一つは「血肉になってる感」です。
今までが空っぽだっただけに、スポンジみたいに知識を吸い取ってる感覚があります。
「いい情報に出会った、入ってきた」
この楽しさ、この感触を一度味わってしまうと、
なんとスゴイことに
娯楽系のコンテンツにおいそれと戻れなくなるのです。
例えばどんな面白い映画でも
「楽しいけど、消費してるだけ?」となる感じ。
そんなことはないないはずなんですが、でもそう感じてしまう自分がいるのです。
こうやって私は知識に触れ、取り込むことに没頭します。
テレビのかわりに何しようかなどと考えていたのが嘘のようです。
1年前までの自分と比べたら、
「一体どうなっちゃんたんだオレ?」状態です。
そんな今の状態のこと、引き続き次回でもう少し詳しく考察したいと思います。
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