逆向き働き方改革を成功させ、
目論見通り労働時間数が伸びた私の月収は上向きます。
とうとう私の月収はアルバイトの中でもトップクラスとなりました。
さらに私の手取りは、繁忙期には若手正社員さえも上回ることがあるのです。
厚労省は働き方改革で正規と非正規の格差是正を呼びかけますが、
この時の私の思想は真逆です。
バイト身分で社員並みの報酬、
言い換えれば責任は少なく稼ぎは多い。
おまけに会社からは非常に感謝されます。
なのでやり甲斐も並の正社員より高い(はず)。
格差上等!
逆向き働き方改革バンザイなのです。
ここでひとつ触れておきたいことがあります。
では、そんな稼げる私は優秀なのか?という問題です。
違います。
謙遜でも何でもなく、私は決してキレキレのデキるアルバイトではありません。
接客業界での経験も浅いですし実際細かいミスなんてザラで、
私の能力などベテランに比べるとまだまだです。
そんな、経験やスキルなど大したことのない私の給料がトップクラスという事実は
会社にとって単に使いやすい存在、ということのみで成立しているのです。
大したスキルもないくせに給料だけは人並み以上… それズルい。
ひょっとしたら、そんなことを思う人がいるかもしれません。
しかし私自身は全くそうは思いません。
どんな職場でも個人の能力に差が生まれることは避けられません。
営業であれば数字に、マッサージであればでその腕に、
能力の開きが出てしまいます。
そして能力をはかるものさしはその職種、職場ごとに違います。
私が属する職場のものさしはどうやら、
「クオリティ高く、かつテキパキと捌く」
ことであるようなのです。
捌ける系の人たちが職場のエースを自認する雰囲気がありますし、
エースの皆さんは、陰に陽に何かとできるアピールをしてくるので
「なるほどこの職場の価値基準は捌けるかどうかなんだな」
と働き始めてすぐにわかりました。
捌けることは、捌けない私からすると実に素晴らしい能力ですし、
もちろん私も日々研鑽に励んでいるのですが、
はたしてそのものさしだけが絶対なのか?
ということを今回の逆向き働き方改革では考えさせられました。
職場のエースたちは、こなす仕事の質と量は無双なのですが、
違う現場への順応性、時間への柔軟性は私の方が圧倒的に高い。
今までは、
「やっぱり捌ける人は違うな、自分はまだまだだな」
と思っていましたが、
「違うアプローチでも職場貢献できるんじゃ?」
ということに気付いたのです。
第二次大戦時の戦車で例えれば、エースはそりゃあタイガー戦車でしょう。
対戦車能力は攻撃、防御力ともにトップ。
その性能が活かせる戦場でならまさに無敵。
遭遇した連合軍は震え上がったことでしょう。
映画「フューリー」でもそんなシーンが描かれていますね。
幼い頃、お年玉を握りしめて兄と一緒にプラモデルを買いに行った記憶が思い出されます。
どの戦車にするか。
こんなとき、男の子にとっての最重要価値はなんと言っても「強さ」ですよね。
年嵩な分だけ知識が先行している兄は迷わず最強のタイガー戦車を選びます。
先を越された私。
兄と同じモノは絶対嫌なので、別の戦車を選びたいのですが
よくわからないまま、連合軍側のシャーマン戦車を手に取るのです。
性能は劣るし、カッコ良さもイマイチだが、勝った側の戦車だから、ということで
自分を納得させました。
子供だったなあ。
今の私は凡庸な性能と言われ、幼い頃にはハズレくじのように感じた
シャーマン戦車に強く惹かれるのであります。
戦車同士の一騎打ちではかないませんが、戦車の評価ってそこだけでは
決まらないんだなこれが。
稼働率が低く、重くて戦場に運ぶだけでも大変なタイガー戦車にひきかえ、
シャーマン戦車は信頼性、操作性、汎用性に優れ、機動力も高い。
進軍する歩兵にとって頼りになる戦車はどっち?と尋ねれば、
振り返ればそこにいる戦車…答えは明らかにシャーマンだったはず。
現に戦争の勝利に貢献してますしね。
ゴメンナサイ、完全に自分好みの狭〜い世界で例えちゃいました。
そこで将棋に例えるともう少しわかりやすいかも。
将棋の駒で言えば、エースは間違いなく飛車や角ですね。
私の職場では飛車角こそがすばらしく、みんな飛車角を目指す風潮なわけです。
「飛車角にあらずんば人にあらず」なのであります。
ここで違うものさしを持った私はどんな存在か?
金?銀?桂馬?
いえいえ、盤上だけで見てはいけませんよ。
手持ちの歩
私は、使う側から見ればこれに近い存在でしょう。
スペックはさておき、好きな時に好きな場所に置ける駒。
私は、手持ちの歩のような使い勝手の良さを高める作戦で
給料アップを成し遂げたのです。
さあ「やる力」チェックの時間です。
給料アップに「やる力」を使ったのか?
またもや答えはNOです。
私がやったのはシフトや休日の変更を笑顔で受け入れたこと。
あとは言われた通りに働いただけですから。
給料アップとともに、私の皮算用もその楽しさがアップして
ニンマリ度合いも増えていきます。
そして遂に、
2021年5月、
事の始まり、コロナによる自宅待機から1年。
年初に立てた予想より1ヶ月早く、
私の貯金は100万円に達するのです。
来ましたね。
…感慨がこみ上げます。
この1年に思いが巡ります。
交通誘導、40連勤、自炊、テレビ…
特別な1年でした。たった1年なのに既に懐かしい。
ウルウル的ヨロコビが込み上げます。
爆発的なヨロコビとは違います。
ちょっと予想外でした。地味なんです。
おまけに貯金のことは友人知人はおろか
身内にも話していないので、褒めてくれる人など誰もいないのです。
寂しさを感じた私は
「でもこれってもっと喜んでもいいやつだよね、褒められるに値することだよね」
そんな、かまってちゃん化するのであります。
すると
これがまたしても自分をさらに変えるきっかけに…
なんだか変化の数珠つなぎが止まりません。
今度の私はどう変わっていくのか?
お楽しみに、と言いたいところですが
その前に…
次回は祝!100万円到達記念
100万円到達までの歩みと分析の回にしたいと思います。
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