タバコなんか喫ってる場合じゃない

今回はちょっと番外編的に、禁煙について書いてみようと思います。

既にもうおわかりかと思いますが、以前の私は喫煙者で今は禁煙に成功しています。

こう書くと簡単ですが、実際はとても長い間、私はタバコと戦ってきました。

戦いというと大袈裟に聞こえますが、

やめたいと思う私と、中毒症状によってそれを阻むタバコはやはり戦っていたのだなと

改めて思うのであります。

私が喫煙者になったのは大学2年の頃だったと思います。

年齢で言うと22歳(スミマセン2浪してます)、当時としては遅い方ですね。

好奇心と、周りの友人の影響、当時の喫煙事情(当たり前だったので)から

半ば好奇心から吸ってみたのですが、ニコチンには中毒性がありますので

あっという間に習慣化しました。

今思えば、あれさえなければと非常に後悔しています。

以後、タバコとの長い付き合いが始まります。

禁煙に成功したのが忘れもしない2021年6月3日のことですから、

かれこれ33年間、ということになります。

途中で5年間と1年間、禁煙できていた期間があるので実質的には27年間です。

ポイントはここで、5年間と1年間の禁煙期間があるということ。

少なくとも今回以外で過去に2回、私は禁煙に成功しかかっていたのです。

今回の禁煙は成功してからまだ2年半しか経っていませんが、

もう二度と喫煙者には戻らないという確信があります。

その理由も含めてお話しようと思います。

タバコは恐ろしいです。ニコチンが切れた時の禁断症状は強烈です。

やめたいと思っても、いや一旦やめていてもまた喫煙に引き戻す魔力があります。

またズルズルと吸い続けてしまうのです。

今回禁煙に成功した際、自分を褒めてあげたいと思って

ニコチンの中毒性や依存度の強さがどれくらいか、ネットで検索してみました。

ある記事によると、依存症になる割合はヘロイン、コカインを抑え、

禁断症状の強さはヘロインとコカインの間、

やめる難しさはヘロイン、コカイン、アルコールと同等とあります。

タバコって麻薬を克服するのと同じなのですね。

オレってなんてエラいんだ!

これを読んで私は自分を褒め称えました。

禁煙のハードルの高さばかりを強調しても仕方ありませんね。

もし現在喫煙していて、やめたいと思っている方がいらっしゃるのなら

以下の私の禁煙談が少しでもお役に立てれば幸いです。

禁煙外来に行くわけでもなく、禁煙グッズに頼るわけでもなく

私の場合、意志の力だけで禁煙できました。こんな感じです。

自宅で夕食後、いつものようにスマホでお金のことを検索して過ごしておりました。

当然喫煙(その時は電子タバコ)しながらです。

そこでタバコの残りが2、3本であることに気づきます。

これでは今晩と明日の朝の分としては足りません。

買いに行かなくては、と普段なら立ち上がるはずなのですが、

その時ふと、「あれ、ひょっとしたらこのままやめられるかも」と思ったのです。

そして残りを吸って本当にそのままやめてしまいました。やめることができました。

そう、驚異的にアッサリと。

これまでずっと、タバコは体によくないと思い続け、

何度やめようと思い、何度実際にやめようとしたことか。

禁煙本も読み、ニコチンガムもパッチも全部試しました。

これだけもがき、あがき続けてもやめられなかったのに。

そんな長年のタバコとの戦いがウソのようにスパッと終わったのです。

私の中で何が起こったのでしょうか?

その時私はスマホでお金の勉強をしており、貯金に関する記事を読んでいました。

同時に貯金額の皮算用をしていた記憶があります。

この皮算用は実に楽しい時間で、実際に100万円貯めた原動力のひとつがコレです。

その皮算用の中で、タバコをやめれば貯金はもっと加速すると思ったのです。

そして今ならやめられそうだと。

しかしタバコをやめれば貯金が増えるなんて、貯金を始めてから何度も思ったことです。

月の支出を検証すればタバコの出費は否応なく浮き彫りになります。

これさえなければ…と当然思います。

でもそれまではタバコなんてやめられないと思っていたので、

タバコ代というものは諦めるしかない必要悪の出費でした。

禁煙のカギは「今ならやめられそう」、の「今」にあります。

お金の勉強をしていろいろと考え方が変わった「今」の自分なら、という意味です。

お金の勉強をすると事あるごとに生き方や考え方を問われると前回も言いました。

これを繰り返すと徐々に思考や価値観が変化していくのです。

その中のひとつが、何によらず依存体質はマズい、という考えです。

麻薬、ギャンブル、アルコール、買い物、過食、SNS、テレビ、ゲーム…

確かにこれらへ深く依存してしまうと

お金が減るどころか健全な人生まで壊してしまいそうな気がします。

タバコもこれと一緒か、そう考えると

お金がかかるから、という理由にに加え

依存状態から抜け出して日々を健全化する、という新たな理由が加わります。

思考や価値観が変わると、生活や暮らしぶりもそれに伴って変わってきます。

テレビをやめた時にも書きましたが、朝起きたら窓を開けてベッドを整え、音楽をかけて

着替え、コーヒーを淹れて楽しむ。

食事は自炊にして炭水化物は少なめにする。

より健全で整った生活へと意識が向いていきます。

また、ちょうどこの頃私はジョギングを始めていました。

理由は夏に向けてちょっと体重を落としたかったのと、お金の勉強の影響で

体を動かすことや、健康の重要性が気になり始めていたからです。

実際、いい汗をかくと爽快です。

ところがジョギングの後にタバコを吸う自分がまだいます。

うまいコーヒーにもタバコがセットになっている。

朝の新鮮な空気も、コーヒーの風味も損なうとわかっているのに。

自己嫌悪です。

お金が貯まると精神的な満足感が得られます。

心の平安、達成感、自信、充実感、自由の獲得感… 今回気づいたのは

これと同じような満足感って、実は健全化していく生活からも得られるということ。

健全化で時間の使い方の質が上がることは、自由なお金が増えるのと同様に嬉しい。

だから貯金と生活の健全化は多くの人の場合、同時進行していくもののようなのです。

だって得られるものや向かっているゴールがよく似ているから。

お金が貯まる人の生活が整っていることが多いのはこういう理由なんだ。

そんなことに気付き始めていた時期でもありました。

しかし

大切だと感じ始めた健全さ、そのことごとくに割って入ってきて台無しにするのが

タバコという魔物なんです。

お金を増やすのと同様に大切な健全化、そしてそれを阻害する喫煙。

「つくづくとんでもない奴だなタバコって」

このように私の禁煙意識が、

できればやめたい、くらいのレベルから

こんなもん吸ってる場合じゃないだろ、くらいへのレベルへと段階が上がっていました。

これに加えて、貯金の皮算用がステキな数字を弾き出してきます。

タバコをやめたら月に1万5千円の出費が抑えられる(1日1箱500円×30日)。

年間だと18万円。

そうすると1年間の貯金額が100万円に限りなく近づく(前年は80万円)、という

魅惑的な皮算用です。

そこで私はハッと気付いたのです。

いや、これって本当に魅惑的なだけか?と。

今なら、今の自分なら実現できるんじゃないか?と

だって、今の自分は以前の自分とは明らかに違う。

考え方も生き方も、生活も習慣も変わった。

貯金100万という数字の実績だってある。

テレビもやめた。

だったらタバコだってやめられるんじゃないか?

そんな成功の予感のようなものがしたのです。

「ならばやってみよう。」

こうして最後の電子タバコを吸い終えた私は禁煙状態に入り、今に至ります。

タバコを吸う習慣をやめたのではなく、タバコなんぞに依存しなくてもいい人間へと進化した

といった感じです。

そう言えば禁断症状に関しては、紙巻きタバコより電子タバコをやめるときの方が

比較的楽でした。

紙巻きタバコをやめたいと思っている方は一度電子タバコを経てからやめるのも

アリだと思います。

二度と喫煙者に戻ることはないだろうという確信理由については

今回克服した時の意識がこれまでとは全く違うというのがひとつ。

お金の学校の生徒として経済的豊かさを求め続ける限り、

残り少なくなりつつある人生を悔いなくより良く過ごしたいという意識がある限り、

喫煙者に戻るなんて考えられないのです。

そしてもうひとつは、現在の私のストレスです。

過去何度も禁煙に失敗したのは、その多くがストレスによるものでした。

相手は上司だったり業務だったりいろいろですが、こんなんやってられるか!と

ヤケになりそうな自分をなんとか保とうとしてタバコに戻っていたように思います。

しかし今の私はストレスがゼロではないにせよ、極めて低く抑えられています。

それが故の今の職種であり、アルバイトという身分であり、

それが故の一人暮らしなのです。

22歳で最初のタバコを吸った自分には今でも大馬鹿野郎と言ってやりたいですが

多大な代償を払ってようやく今、その始末をつけられました。

私が禁煙できた理由はいくつかありますが、その中のひとつに

「やめたいと思い続けること」

があると思います。

私はこれまで、

「何の苦もなくやめられるのであれば、タバコなんぞやめてしまいたい」

周囲の人にもそう言い続けていました。

これには以下のような意味が含まれています。

・やめられないのをニコチン中毒という病気のせいにする

・やめると宣言できないから、やめたいという言葉に置き換えてごまかす

いずれにしても言い訳がましくてカッコ悪いですね。

それでも、やめたいというポーズだけは取り続ける。

どうせやめられっこないと100%諦めるのではなく、

ほんの僅かでも、やめるという余地を自分の中に残すことが大切ではないかと。

行動は起こせなくても、少なくともその方向にだけは体を向けている、みたいな。

煮えきらない、潔くない、そんな言葉も聞こえてきそうですが、

私が時間がかかっても禁煙できたのはやはりこのおかげだったとしみじみ思うのです。

以前の喫煙所仲間だった同僚はかつて私にこう言いました。

「オレはタバコをやめないことにしている」と。

これこそやめられっこないと100%諦めた宣言だと思うのです。

彼はコロナに感染した際、

ホテルに10日間以上隔離されるという(タバコを買いに行くこともできない)、

絶好の禁煙好機を見事乗り越え今も元気にタバコを吸っています。

さて前回、「やる力」欠如の本領を露呈して落ち込み気味の私ですが、

今回はどうだったのでしょう?恒例の「やる力」チェックです。

…難しいですね、今回はなにせやめる話ですから。

とは言え禁断症状と戦わなくてはいけないし、過去何度も失敗している。

やめるだけとは言え意志力のようなものは相当必要です。

どうやら「やる力」とは別の力が働いたような気がします。

今回働いたのはやめることに必要な意志力、仮に「やめる力」としてみましょう。

禁煙にしろテレビにしろ、どうやら私には「やめる力」が一定量備わっているようです。

その原動力というか、決定打となっているのは

・テレビの見過ぎは良くない(諦めずに思い続ける)

   ↓

 お金の勉強がきっかけで意識が進化

   ↓

 テレビばかり見ている場合じゃない

・いつかタバコをやめたい(諦めずに思い続ける)

   ↓ 

 お金の勉強がきっかけで意識が進化

   ↓

 タバコなんぞ喫ってる場合じゃない

という流れのように思います。実際にそう思ったわけです。

そしてこれが禁煙成功の最大要因だと確信しています。

「◯◯している場合じゃない」という言い方は、

◯◯よりも途方もなく重要なことが同時か直後に起こる際に使います。

例えば、

「親が危篤。ゆっくり飯なんか食ってる場合じゃない」

とか

「明日は入試。遅くまで起きている場合じゃない」

みたいな感じです。

では私がテレビやタバコをやめるときに起こる重要なこととは?

それはお金を貯めたり健全な生活を送ることです。

もっと煮詰めればそれによって脳内に生まれる幸福感、と言ってしまってもいいでしょう。

テレビの面白さやタバコ依存を上回る別の幸福感があった。

その幸福感は次元が高過ぎてテレビやタバコがアホ臭くなるほどだということです。

麻薬並の依存度にも打ち勝てる、それが幸福欲なのでしょう。

では次回についてです。

お金の勉強を通じて経済的豊かさを目指すメインストーリーへと戻ります。

今回禁煙を可能にした私の諦めの悪さ。

これはそのまま次回のキーワードにもなります。

投資という新たな壁の登場にフリーズしてしまった私。

投資を先延ばしにしながらも実は諦めていなかったというお話です。

お楽しみに。

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